日本とリベラルアーツの大学教育の違いについて【比較編】

Liberal arts education

こんにちは。ケンズです。

日本とリベラルアーツの大学の違いについて教えてほしい。。授業の形式やモチベーションはどのように違うの?生活の違いについて詳しく教えてほしい。。文化的なコミュニケーションの違いについても知りたいって思ってませんか?

本記事はこういった疑問にお答えします。

本記事の内容

  1. 授業編
  2. 生活編
  3. 文化編

1.授業編


本記事は日本とリベラルアーツの大学の違いについて解説していきたいと思います。これまでリベラルアーツに関する情報を提供してきましたが日本の大学とどう違うのかあらためて比較することで大学教育について考え直すきっかけになります。私はリベラルアーツの大学に入学する前は日本の大学に在籍していた時期があります。なので両方の大学の特徴をよく理解しているつもりです。

ではさっそく日本の大学の授業から見ていきましょう。

授業の形式と参加度

日本の大学では授業の形式を2つに分けることができます。それが「講義」と「ゼミ」です。講義とは学説の内容や意味を学生に解きあかすことであり、教授の説明を聞くことで理解を深める授業のことです。日本の大学ではこの講義形式が一般的な授業であると考えられています。

一般的な大学の講義では数百人が1つの授業を受講をするということも珍しくありません。そのため、出席をすることが参加をすることであると捉えられています。講義では教授の説明を一方的に聞いて知識を吸収するという方式なので発言をするということはあまりないです。

一方、ゼミとは指導教授と少人数の学生から構成されており研究テーマを中心に発表や討論などを行う授業のことです。ゼミでは講義とは違いより深い研究テーマを対象とするので少人数形式になります。ゼミは学生が主体性をもって研究テーマを決めて仮説と検証を繰り返すことになります。そこから得られた結果をレポートやプレゼンテーションという形で発表します。

この説明を聞くと講義よりゼミの方が参加度が高いということは言えそうです。しかし、私の経験ではゼミもなんだかんだ教授の主導で進んでいくことが多いので特段に議論が活発に展開されるというわけでもないです。

リベラルアーツの大学

リベラルアーツの大学の授業は大きく分けると2つあります。それが「講義」と「少人数の授業」です。講義のクラスは約50~100人の学生が受講します。講義の形式の授業はかなり稀で基礎コースに多いのが特徴です。講義式の授業はどちらかと言うと先生の解説を聞いている時間が長いので議論が少なめになります。ですが、たまに先生が質問などを教室に投げかけることもあるので完璧に一方的な授業という訳でもないです。

一方、少人数の授業とは約5人~15人程度のこじんまりとした教室で受ける授業のことです。リベラルアーツの大学ではこの少人数制の授業が圧倒的に多いです。この少人数制の授業では講義とディスカッションの両方が含まれています。そして、主にディスカッションを中心に議論が展開されるという特徴があります。

クラスでは教授と学生が問答をくり返すソクラテス式と呼ばれる方法でディスカッションが進みます。みんなで積極的に議論に参加して授業を作り上げるという方法になります。

授業のモチベーションについて

日本の大学の授業では一方的に情報を取り込んで内容を理解するという講義の形式が多いため学業のモチベーションが上げづらいです。積極的に議論に参加して授業をみんなで作り上げるという方法は採用していないからです。

授業の形式だけが学業のモチベーションを下げている原因ではありません。学生が大学に行く最大の目的は大学卒業という学歴の取得、そして就活で成功をすることにあります。大卒という学歴は卒業に必要な単位と卒論が終われば取得できます。学生は就活において授業の成績は会社から見られないことを理解しているので最低限の努力で単位を取得できればいいと考えます。

このように学業が評価されないと分かっていると就職時の面接で成功するためにはのネタになるようなエピソードを話せるようにサークルやアルバイトの社会経験を積んでおくことが必要と学生は考えます。このように就活では大学の授業とは関係のない活動の方が評価されることになります。このような大学の学業の頑張りが就職において評価されないという構造があるためモチベーションを下げている要因にもなっています。

リベラルアーツの大学

一方、リベラルアーツの大学生は授業のモチベーションが高いです。大学に行く最大の目的は「勉強をして優秀な成績を収めること」と考えているからです。授業で優秀な成績を収めるとGPAが上がります。GPAとはGrade Point Averageの略で大学の成績を表す数字です。学生はこのGPAを意識して勉強に励んでいます。

では、なぜGPAを重視するのでしょうか?理由が4つあります。

就職

1つ目は就職と関係しています。アメリカの会社の人事は大学のGPAを重視します。そのため学生は履歴書でGPAが高いことをアピールポイントにして就活を有利に進めることができます。会社によっては一定のGPAを満たしていないと応募すらできないという会社もあります。つまり、大学の成績は就活にプラスに働くので軽く考えることができないのです。

大学院

2つ目は大学院に入学するため。学生は入学したい大学院へGPAを提出する必要があります。大学院はGPAだけでなくGRE(Graduate Record Examinations)と呼ばれる試験の成績が考慮されます。しかし、大学のGPAも大事な評価基準の1つです。リベラルアーツの大学生は大学院への進学率が高いので進学を考えているのであればGPAを意識せざるを得ません。

編入

3つ目は編入です。リベラルアーツの大学を含めアメリカでは他大学への編入が一般的に行われています。つまり、大学間の流動性が高いです。例えば、州立大学からリベラルアーツの大学に編入。コミュニティカレッジから州立大学へなど学業の興味や学費など個人の事情に合わせて柔軟に大学を移動することができます。

アメリカの大学はGPAと推薦状などがあれば編入できるのであらためて入学試験を受ける必要がないです。なので編入においても大学の成績(GPA)が重要視されるのです。

奨学金

4つ目は奨学金です。リベラルアーツの大学では成績が優秀だと学費が免除されたりします。いわゆる、奨学金がもらえます。ここでいう奨学金とは返済をしなくてもよい奨学金のことです。お世辞にも安いとは言えないリベラルアーツの大学の学費。成績次第で奨学金がもらえると分かれば勉強をするモチベーションになります。大学卒業後も学費の返済に追われている学生が多い中、奨学金があれば経済的な負担を減らすことができます。

このように「就職」「大学院」「編入」「奨学金」の全てにおいて大学の成績が関係していることが分かります。学生は優秀な成績を収めることが自分の将来のためになると分かっているのでモチベーションに繋がっています。

授業のスケジュール

日本の大学の授業のスケジュールを見ると履修のコマ数は平均で12~15です。コマ数とは授業の数と同じです。つまり、毎週12~15の授業を受けることになります。1年生の時から必修科目と選択科目の両方を多めに履修することで4年生には楽なスケジュールを組むこともできます。自分でスケジュールを調整できるので学生によっては授業が無い日(全休)を作ることも可能です。

私の経験だと授業は予習や課題があるわけではないので自発的に勉強をしないと前週の講義の内容を覚えていなかったということが多かったです。

リベラルアーツの大学

一方、リベラルアーツの大学では1週間の平均コマ数は4~6です。自分でスケジュールを調整することができます。しかし、全休を作ることはかなり難しいです。1コマの授業は週に2回または3回あるからです。月曜日に履修した授業は水曜日と金曜日、そして火曜日に履修した授業は木曜日にもあるという意味です。

授業のコマ数(授業の数)は日本の大学と比べると少ないことが確認できたと思います。そうすることで一つの授業に費やす時間をより多く取ることができます。個人的な感想を言うとこのスケジュールの方が私は好きでした。

授業のコマ数が少なく前回の授業の内容を忘れづらいので知識や学習した内容の定着率が高まります。そして、集中的に1つの問題に取り組むこともできるのでより深く物事を考える癖を付けることができます。

以上の理由からモチベーションが上がりやすいスケジュールの組み方であると感じました。

試験と課題について

日本の大学の講義の授業では予習は基本的には必要とされません。たとえば、授業の予習のために教科書を読むという課題はないです。ですが、授業で学習した内容の理解を試すために中間と期末テスト、論文やレポートなどは課されます。

ゼミでは中間と期末テストはないことが多いですが課題を出すことは多少あります。つまり、講義とゼミのために毎日勉強をするということはありません。そして、課題がある時はグループワークというよりも個人で取り組むものが多いです。

もし、理科系の学生であれば教科書や講義で学ぶ理論を実際に検証をする「実験」と呼ばれる授業もあります。理系の学生は実験とレポートに追われているので文系の学生よりは忙しい日々を送っています。

リベラルアーツの大学

一方、リベラルアーツの大学では予習と課題は毎日あるので勉強をしないと授業についていけないということになります。リーディングアサイメントと呼ばれる教科書などの読み物の課題は必ずあります。グループワークを要する課題も多々あります。例えば、私が受講した形式論理の授業では毎週グループで集まって問題を解いて答えあわせをするというのがありました。

成績は提出物を出す度に評価されて学生に返却されます。つまり、積み上げ式で成績が決まります。なので、出席と中間期末試験だけを受けても単位は取れないようになっています。理系科目を履修すると実験(ラボ:LAB)があるので授業時間が長くなる傾向があります。

学部学科と履修科目について

日本では学部学科は大学受験時に決定することになります。つまり、高校生の時点で自分がどの学問を学びたいか決めることになります。受験時は文系と理系に分類されるという特徴もあります。このため受験科目も限定されます。

大学の履修科目は必修科目と選択科目に分かれています。必修科目は自分の学部学科に関連する科目を履修することになります。これには英語の授業も含まれます。そして、選択科目は自分の学部学科とは違う教養科目と呼ばれる授業を履修することになります。

基本的には学部学科の変更はできません。もし、変更したければ編入または再受験ということになります。

リベラルアーツの大学

リベラルアーツの大学では学部学科を入学時に決定することはありません。大学2年生の終わりに専攻を決めることになります。それまでは必修科目や教養科目を履修して学習の幅を広げます。大学受験では文系と理系という分け方をしないので両方の科目を受けることになります。試験科目は「リーディング」「ライティング」「数学」になります。

リベラルアーツの大学に入学してからも一般教養を学ぶことが大切だとされているので必修科目として文系と理系の科目を両方履修することが卒業条件の1つになります。学部学科の変更は初めの2年間であればいくらでもできます。そして、基本的には大学の成績(GPA)と推薦があればほかの大学に編入することもできます。

卒業論文について

卒業論文とは研究テーマの成果として4年生に提出する論文のことです。卒業論文は自らテーマを設定し学習の成果として大学に提出することで卒業することができます。いわゆる大学時代の研究の集大成のようなものです。たいていの日本の大学生は3年生の終わり~4年生の初めから取り掛かることになります。卒業論文は就活と時期が被るのではじめるタイミングを考える必要があります。

ゼミの教授から指導を受けつつ卒論のテーマや研究計画書をまずは書いていくことになります。卒業論文を作成するプロセスは「テーマの決定」➡「研究(実験)計画書の提出」➡「参考文献などの収集」➡「先行研究のデータ集め」➡「執筆」➡「教授とのやり取り」➡「卒論の提出」という流れになります。約2か月~3か月という期間で卒業論文を仕上げる人が多いです。

リベラルアーツの大学では卒業論文(Senior Thesis)は選択制となっています。もし、卒論を書くことになれば教授の指導の下、約4か月間という期間で書き上げることになります。教授とのコミュニケーションを密接に取りながら書くのでよい論文に仕上げる学生が多いです。論文を書かないのであればそれに相当する単位をほかの授業で満たす必要があります。

大学院について

大学を卒業した後に大学院に進むという道があります。大学院ではさらに学問の研究を深めたい人のためにあります。大学院を視野に入れている日本の学生は大学卒業後にすぐ大学院に進学する人が多いです。

「修士課程」や「博士課程」の学位を手に入れることでより専門的な知識やスキルを身に付けることができます。特に理系などの分野では就職活動の際に有利になるといわれています。ですが、文系の大学院は諸外国と比べると進学率が低いというデータもあります。

初任給が高く、就職の幅が広がる、そして専門性の高いスキルを手に入れることができるというメリットがあります。

リベラルアーツの大学

リベラルアーツの大学は学術を重視している大学です。それはリベラルアーツの学生が大学院に進む人が州立大学と比べて多いことからも分かります。リベラルアーツの大学教育は基礎的な教養教育と自分の興味を広げる期間。そしてより深く学びたいという人は大学院で学ぶという位置づけです。

大学院へ行くタイミングは人それぞれです。大学卒業後に大学院へ行く人、または社会人を数年経験してから大学院へ戻るというパターンも珍しくありません。つまり「大学卒業➡就職➡大学院➡就職」というパターンも結構あります。これは違った業界に転職などをする時に学問的な背景を身に着けてから就職をするという考えがあるからです。

アメリカは就職では即戦力を求めるので専門性に特化した知識や経験を大学院で学ぶことができれば年収が高くなる傾向があります。

日本とリベラルアーツの大学比較表【教育編】

日本の大学 リベラルアーツの大学
授業形式 講義とゼミ 参加型形式(ソクラテス式)
授業参加度 低い 高い
授業人数 多い 少ない
課題 ほぼなし 毎日ある
授業のコマ数 多い 少ない
学部学科 大学受験時に決定 大学2年終了時に決定
学部変更 なし あり
卒業論文 ある 選択制
大学院進学率 低い 高い

2.生活編


授業のあり方だけでなく国の地理的な環境が違うと生活の様式も変わります。そして、どのように大学生活を送るのかという時間の使い方も異なります。この生活編では日本とリベラルアーツの大学の生活の違いについて解説していきたいと思います。

都会と地方

日本の大学生は実家暮らしまたは一人暮らしをしていることが多いです。実家から大学への通学平均時間は約1時間ほど。そして、一人暮らしであれば30分程度の通学時間を要します。地方出身で大学が都会に位置していれば上京して一人暮らしをすることになるでしょう。そうでなければ実家から大学に通うということになると思います。寮を用意している大学はありますが多くはないのが実状です。

大学は都会と地方どちらにも存在していますが東京と大阪に大学機関が集中しているという特徴があります。つまり、より多くの大学は都会にあります。とくに有名な私立大学などのキャンパスは都内に位置していることが多いです。このため地方出身であれば大学は都会にいくという選択肢を取る学生も多々います。

リベラルアーツの大学はキャンパスが自然のど真ん中に設置されていることが多いので実家から大学に通うということはできません。このため、寮生活が基本となります。大学のキャンパスに隣接した寮がたくさんあります。寮から教室棟までは徒歩で5分以内で着くことができます。

初年度の1年間は寮生活を送ることになります。それ以降は寮生活または大学キャンパスの近くで賃貸を借りるという選択肢があります。寮生活の方が安いと思われるかもしれません。しかし、2人以上で契約すれば賃貸のほうが安上がりということが多いです。

生活の基盤

日本の大学生活の中心地は大学周辺ではなく実家または一人暮らししている地域になります。大学に隣接している寮であれば生活は大学周辺ということになりますが約30分~1時間の通学時間を考えると自宅周辺が生活の中心となります。そのため、大学付近で生活を送るということにはなりません。

バイトなども大学周辺ではなく地元または大学の駅の沿線上付近で探す学生も結構います。つまり「大学キャンパス」➡「アルバイト先」➡「自宅(実家)」が生活の拠点です。

リベラルアーツの大学では学業を中心とした生活を送るのでキャンパス付近が生活の拠点となります。生活はキャンパス上で完結するので「寮」➡「教室棟」➡「図書館」➡「学食」をループすることになります。学食、ジム、売店、郵便局、図書館など生活に必要な施設は揃っています。

近所にはコンビニやおしゃれなカフェなどがあるので気晴らしにキャンパスを離れて昼食を取ることができます。学生は勉強で忙しいので頻繁に都会にでかけるということはないです。

寮文化

寮文化についてもう少しだけ解説します。日本の大学生は実家または一人暮らしのアパートから大学に通う学生が多い。その理由として実家が大学に近ければ一人暮らしをすることなく通学できる。そして、地方出身で大学が都会に位置していれば上京して一人暮らしをすることになるからと説明しました。

学生は大学中心の生活を送るのではなく「実家(アパート)」➡「アルバイト先」➡「大学キャンパス」が生活の拠点になります。一部の国立系の大学であれば寮はありますが私立系の大学はほとんどないです。このため寮生活という文化がありません。

一方、リベラルアーツの大学は寮生活が基本となります。学生は初年度の1年間は寮生活を送ることになります。2年目以降は寮生活または大学キャンパスの近くでアパートを借りるという方法があります。寮生活はルームメイトとコミュニケーションを取って大学生活を送ることができるのか試されます。

そのような意味では寮生活は社会的な経験をするためにもあると考えられます。ルームメイトはアメリカ人になることが多いですが留学生と一緒になるということもあります。多様な文化背景を持ち合わせた人たちが寮で生活しているので異文化交流もできます。

ルームメイトと生活していると自分は朝方、相手は夜型、自分は掃除好き、相手は掃除嫌いなど生活パターンから性格の違いもあります。これらの違いは当然あります。お互いの生活を維持するためには取り決めなどを作り妥協をする必要もあります。そのためにはルームメイトとコミュニケーションをする機会を増やして気軽に相談できる関係を作っておくと役立ちます。

この人、気が利かないなぁ。なんでこんなことが分からないんだろ?というような察して欲しいという考えは捨てた方がよいでしょう。自分の言いたいことは言葉で明確に伝えないと相手は理解しません。自分が我慢をして生活を続けるということをするとストレスの原因にもなります。ルームメイトに言いにくいこともありますが勇気をもってコミュニケーションを積極的に取りましょう。

生活のスケジュール

日本の大学生の生活スケジュールを見ると午前中から午後過ぎにかけては授業を受けている学生が多いです。授業が終われば趣味やバイトなどの活動に時間を費やすことができます。そのほかにもサークルや飲み会などにも参加する学生も多くいます。

クラブ活動なども盛んに行われているのでなにかしらの楽しみをみつけることができるでしょう。大学は新しい友達と出会う機会でもあるので社交の場でもあります。都会に位置している大学であれば娯楽などが豊富なので飽きるということもないです。

講義の予習や課題が少ないので生活のスケジュールに勉強をする時間をあまり確保していない学生もかなりいます。

リベラルアーツの大学では午前中から午後過ぎにかけては授業を受けることになります。勉強を中心に大学生活を送ることになるので授業が終わると学生は寮に戻って少し休憩をしてから明日の授業の予習や課題に取り組みます。教室棟で勉強を好む学生もいれば図書館の方が集中できるという人もいます。

クラブ活動なども授業が終われば開始されます。自然の中に大学キャンパスがあるのでアウトドアのクラブ活動なども人気があります。大学は都会に位置していないので娯楽などは少なく勉強とクラブ活動の2つを楽しむことになります。

休みの期間

日本の大学の長期休暇は春休みが2ヶ月、夏休みが1ヶ月半~2ヶ月、そして冬休みが2週間程度になります。秋休みやゴールデンウイークなども含めると年間の3分の一は休みになります。長期休みは普段とは違うことにまとまった時間を費やすことができるので旅行、免許取得、資格勉強、短期留学などをするのに最適な期間です。

就職に有利になると言われている「FPの資格」「簿記」「普通免許」「ITパスポート」などの勉強をする学生も結構います。そして、アルバイトなども長期休暇に入ると働く時間数が増えるという傾向もあります。インターンなどを行う学生もいますが短期間のものが多く、ビジネススキルを身につけるというよりは会社の事業や雰囲気を知るのが目的となっています。

日本の大学の休み期間

  • 秋学期➡秋休み5日間
  • 冬休み➡12月~1月(約2週間)
  • 春休み➡2月~4月(約2ヵ月)
  • 夏休み➡8月~9月(1ヵ月~)

リベラルアーツの大学の長期休暇は秋学期は秋休みの3日間と感謝祭休みの4日間、冬休みは12月~1月(約3週間~4週間)、春学期は春休みの8日間、そして夏休みは5月~9月(約3か月)になります。日本の大学と同じく年間の3分の一は休みになります。旅行、アルバイト、ボランティア、オンライン授業など大学時代にしかできないことを満喫する期間です。

夏休みを利用して長期のインターンを経験するという学生も多いです。アメリカのインターンの期間は3か月~4か月になります。つまり、夏休みはインターンだけで終わるということになります。そして、インターンは就活とつながるため卒業後に会社に社員として採用されるというパターンもかなりあります。

リベラルアーツの大学の休み期間

  • 秋学期➡秋休み3日。感謝祭休み4日。
  • 冬休み➡12月~1月(約3週間~4週間)
  • 春学期➡春休み8日
  • 夏休み➡5月~9月(約3か月)

日本とリベラルアーツの大学比較表【生活編】

日本の大学 リベラルアーツの大学
居住 実家または賃貸 寮、大学近くの賃貸
都会と地方 都会に集中 地方
生活の基盤 自宅周辺中心 大学周辺中心
生活スケジュール サークル、バイト 予習と課題、クラブ活動
休みの期間 年間3分の1 年間3分の1
休み中の活動 免許取得、資格勉強 インターン、ボランティア
インターンの期間 短期 長期

3.文化編


世界には様々な国が存在しており文化的な違いを認識している人は多いと思います。しかし、実際に経験しないと文化的な違いを実感できないというのも事実です。最後にこの文化編ではリベラルアーツの大学で経験するかもしれない文化による考え方の違いなどに触れたいと思います。

コミュニケーションについて

人とコミュニケーションを取る方法は文化によって大きく異なります。ですが、いまいちどのような違いがあるのか?なぜそのような違いが存在するのか知らないという人も多いと思います。これらの文化から発生するコミュニケーションの違いを理解するためには文化人類学者のエドワード・ホールのハイコンテキスト(High-context)そしてローコンテキスト(Low-context)というの考え方が参考になります。

ハイコンテキスト

ハイコンテクストとローコンテクストの文化の違いは言語と非言語コミュニケーションの違いを強調することを目的としています。ハイコンテクスト文化では言葉そのものだけでなく「メッセージの裏に隠された意味を推測する」「行間を読み取る」「空気を読む」といったコミュニケーションの方法を取ります。

この文化に属する国は日本、中国、韓国、インドネシア、サウジアラビアなどです。

このハイコンテキストの文化は類似性や近似性が関係しています。人口の大多数が同じレベルの教育を受けており、民族、宗教、歴史を共有しているとハイコンテキストのコミュニケーションを形成します。

これらの共通する要因が多いと大多数の人が同じような考え方や経験を共有しているので裏に隠された意味や前提を明確に説明しなくても受け取る側は理解してくれます。そして、メッセージが伝わらなければその責任は受け取り側にあると考えます。

コミュニケーションの方式もハイコンテキストの文化ではオーラルコミュニケーション、つまり直接的な会話を好みます。そしてメールの文章などは基本的な情報だけではなく本題に入る前の前置きや余談、ことの経緯や理由などを詳細に説明などが含まれるためメール文の文字数が長くなるという傾向もあります。

ローコンテキスト

一方、ローコンテクスト文化では誰にでも理解できるようにコミュニケーションすることを優先します。説明や解説が不十分であればコミュニケーションに誤解を生む可能性があるので解釈の余地を残すようなコミュニケーションは好まれないのです。

ローコンテクスト文化では多様性が高く、異なる文化背景を持ち合わせている人が多いため隠された意味や前提をもってコミュニケーションを進めることができません。みんなが理解できる分かりやすいものでなければなりません。そして、メッセージが伝わらなければその責任は発言者側にあると考えます。

ローコンテクストの文化はアメリカ、カナダ、オランダ、オーストラリアなどの国が該当します。

基本的に誰にでも理解できる、そして直接的な表現を好むという意味ではリベラルアーツのライティングの授業でも同じことが言えます。どのライティングの授業をみても「簡単」「明確」「簡潔」に文章を書くことがよいライティングであると定義されています。そして、オーラルコミュニケーションよりは文章でコミュニケーションを好む傾向があります。

メール文ではいつ(When?)どこで(Where?)誰が(Who?)何を(What?)なぜ?(Why?)どのように(How?)などの基本的な質問を短めに聞くことが多いです。

一般的な文章を書くときもパラグラフ構造を意識します。つまり、まずは主張(言いたいこと)を先に書く。次に根拠(主張を支える理由)を書いてから具体例などを交えて詳しく説明をする。そして、最後に結論で締めるというパターン。このように簡潔に書くことが求められます。

このようなコミュニケーションの在り方に違いがあるので長いメール文を書いても外国のクライアントからの返事がかなりあっさりなことが多いです。なぜミスをしたのか?という理由の説明やことの経緯はほどほどにして次にどうするか?という具体的な解決案を提示することが先決だと考えているからです。

説得をする方法

コミュニケーションだけでなく文化的な違いがあれば人をどのように説得するのか?という方法も変わってきます。人を説得するということは大学の授業と大いに関係しています。たとえば、プレゼンテーション、ディベート、エッセイなどはどのようにして自分の意見を先生や聴衆を説得できるか考えなくてはなりません。

このような説得の仕方の文化的な違いを理解するためにはエリン・メイヤー著作のカルチャーマップで紹介されている「包括的アプローチ」そして「特定的アプローチ」という考え方が参考になります。

包括的なアプローチ

包括的なアプローチとは「質問に直接的に答えることなく関係すると思われる前置きや環境的な要因の説明をしてから本題に入る考え方」のこと。

この文化に属する国は日本、中国、台湾などがあります。

このような考え方をするのは中国哲学の影響を受けているからと考えられます。中国哲学では相互依存や相互作用という概念があります。これはとある事象が発生した時に環境的な要因によってもたらされたと考えることです。

たとえば、中国の陽と陰という概念は対となる属性を持った二つの気でありどちらか一方がなければもう片方も存在しないと考えます。このような相互作用の考えがあるので特定の事象を単独で切り取るのではなく全体としてどのような関係性があるのかまず考えます。そして、孔子や老子は調和やバランスといった包括的な考えも発展させました。

このような思考のパターンは渦巻きを想像すると分かりやすいと思います。渦は旋回するにつれ外側から中心に近づいていきます。つまり、周辺や環境的な要因から考えてから最終的に与えられた本題の質問に答えるという思考の流れです。

このような考え方は日本の社会人の教育にも通じるものがあります。たとえば、新入社員で会社に入社する時は自分の要望で部署を選ぶことができません。たいていは会社側があなたに適切であると思われる部署に配属します。

初めは営業、次はマーケティングなど社内で色んな経験を積むために配属が変わります。これは、個々の部署の役割がどのように会社全体で位置付けられているのかという関係性を理解することが重要だとされているからです。これは包括的に判断ができるジェネラリスト教育を重視しているからです。

特定的なアプローチ

反対に特定的なアプローチとは「対象を直接的に捉え、個別に切り取ってカテゴリーごとに分類や分析をする考え方」のこと。

これは西洋諸国でよく見られる考え方です。

このような考え方をするのは目の前にある対象物を環境から切り離して分析をするという西洋哲学に基づいています。古代ギリシャの哲学者アリストテレスは4つの要素 (地、空気、火、水) にはそれぞれ固有の位置が存在しておりこれらの要素は元の位置に戻る傾向があるため石などの物体は落下すると考えました。このように対象物を切り取り個別の性質に分けて分析することを好みました。

このような考え方はアメリカでの採用過程と関係している部分があります。個別に会社に応募する時にジョブディスクリプション(Job Description)と呼ばれるものを読むことで会社はどんなポジション(役職)を募集しているのか分かります。ジョブディスクリプションとはその役職に応募するために必要な資格などを記載した文書のことです。

これには役職の概要(ジョブサマリー)必要経験年数、仕事内容、責任の範囲、必要資格、給料、必要スキルなどが記述されています。

つまり、個人だけを見て会社のどこに当てはまるのかを考えます。そして、高度なスキルを持った人材を優遇するのでスペシャリストを採用する傾向があります。スペシャリストとは特定の分野において専門的な知識やスキルを有する「専門職」のことです。

まとめると、特定的なアプローチは個人の特徴と動機などを調べることによって対象そのものを理解しようとします。一方、包括的なアプローチをする人はより広い状況と人々の間の相互の関係性を調べるという違いがあります。

このような考え方の違いがあると包括的なアプローチをする人は特定アプローチに対して「一部分を切り取ることでより広く関係するかもしれない要素を無視している」そして、特定的なアプローチをする人は包括的なアプローチに対して「質問の本質に答えようとしておらず回りくどい」という感想を持ちます。

リベラルアーツの大学にて

包括と特定のアプローチの違いについて理解したうえでリベラルアーツの大学の授業ではどのようにこの考えを適応すればいいのでしょうか?授業ではグループで取り組むものがあります。その代表例としてグループプレゼンテーションがあります。

グループプレゼンでは1つのテーマを説明するためにみんなで協力する必要があります。そのためには誰が何を担当するのか?ということを決めなくてはなりません。パワーポイントの作成、資料集め、発表者など役割を分担することになります。

基本的には特定的なアプローチで進めることをお勧めします。つまり、個々の役割をはっきりと決めてお互いに何を期待しているのか?なにをすべきかという特定のタスクを明確にします。そして、いつまでに個々の作業を終わらせるのかという時間軸も決めておくことです。

ですが、包括的なアプローチも役立つときがあります。それが、個々の役割がどのようにグループプレゼンの趣旨に当てはまるのか?という全体像を確認したいときです。このような視点はグループのリーダーが持ち合わせているとマネジメントがうまくいきます。なのでグループのまとめ役は包括的なアプローチをする、そしてそれ以外のメンバーは特定のタスクに集中させるという方法が効果的です。

Meyer, Erin. 2016. The Culture Map. New York, NY: PublicAffairs.


ではまた